124.「十牛訓 第二図  見跡(けんせき)」

 今回は、「十牛訓 第二図 見跡(けんせき))」です。

見跡(けんせき)は、言葉通り、足跡を発見したことです。天風先生のご本等で「ああ、そうか、そんなことを話してくれる人がいるのか」というようなことを感じたり、「この本を読んでごらん」と言われて読んで、「ああ、いい本だな」と思ったときだとおっしゃています。

 そして、正体をつきとめる。どこまでも探す気持ちは捨てないことです。

 「とにかく、人生を正しく解決しようと思ったら、物事を一方的に見てはいけない。外を中と両方から見ろ。それを学問的に言うならば、科学的に考えると同時に、哲学的に考えろと。結局は理屈でなく、本当の正体を掴ませたいがためです。」とおっしゃています。

 

 ここで、科学的と哲学的について調べてみました。

 言われて見て、なる程「事実」だけでは答えがでないし、「意味」だけでも本体が見えてこないと思いました。

科学は「事実の世界」、哲学は「意味の世界」と分けています。(「はじめての哲学的思考」苫野 一徳 Webより)

 科学が明らかにするのは、物を手放せば落ちるとか、文字通り「事実」の世界です。

 それに対して、哲学が探究すべきテーマは、“真”“善”“美”をはじめとする、人間的な「意味の世界」の本質だ。

 「“ほんとう”のことってなんだろう?」「“よい”ってなんだろう?」「“美しい”ってなんだろう?」そして、「人生いかに生くべきか?」

 こうした意味や価値の本質こそ、哲学が解き明かすべき問いなのだ。

 

色紙表面

「十牛訓第二見跡頌辞

 水邊林下跡偏 多芳艸離披 見也磨従是深 山更深処遼天 鼻孔怎(なんぞ)蔵他

一千九百六十六年 如月 天風」

 

色紙裏面

 「註

 水邊(みずべ)林下跡偏 多芳艸(くさ)離披たり見るや否やたとへ こ(古)れ深山更に深き 処なるも遼天の 鼻孔何ぞ他をかくさん」

遼天(りょうてん):はるかな空。高い空(国語辞典より)

 

・以下、「盛大なる人生」(第五章 大事貫徹 より)

「第二図は、「見跡(けんせき)」。

 牛をたずね求めて、山、また山と探しまわって牧童が、どうやらやっとのことで、とある谷川のほとりで牛の足跡を発見したことなんだ。

 これにも詩がついている。

「こころざしふかきみ山のかいありて しおりのあとを見るぞうれしき」

 ああ、喜んじゃった。喜んだものの、また、一方、人知れない不安で胸をどきつかせながら、その足跡をたどりたどって行ったら牛がつかまるかなと、今まさに道を急ぎ行くことろなんだ。

 心身統一法のほうでいうと、天風先生の著書とか、講習会があることを人から聞かされて、「ああ、そうか、そんなことを話してくれる人がいるのか」というようなことを感じたり、「この本を読んでごらん」と言われて読んで、「ああ、いい本だな」と思ったときが、この「見跡」、跡を見たということなんだ。

 この「見跡」は、手がかりです。牛の足跡を見つけた、いわゆるお経の本や語録を読んだということは、順序の第二としてはやむを得ないことです。

 だけど、それだけで安心しちゃいけないぞというので、この絵にもあるとおり、これからその足跡をたどってドンドン探しに行こうっていうんだ。つまり、正体をつきとめるわけだ。どこまでも探すっていう気持ちは捨てないぞということがこれに画いてあるんだ。

 とにかく、人生を正しく解決しようと思ったら、物事を一方的に見てはいけない。やさしい言葉でいうと、外を中と両方から見ろ。それを学問的に言うならば、科学的に考えると同時に、哲学的に考えろと。結局は理屈でなく、本当の正体を掴ませたいがためです。

 

 だから、足跡だけ見て満足してたんじゃ駄目なんだぜ。いっぺんか二度、私の話を聞いて、「あとは本を読みゃまかるわい」「本を見ているから、あれわかってます」と言うやつがいるんだよ。」(盛大なる人生 第五章 大事貫徹 より)