155.「無一物処 無尽蔵 有月 有華 有楼台」

「無一物の処、無尽蔵、月あり、華(はな)あり、楼台あり」この言葉を天風先生は、よく書かれています。安定打坐考抄では、「無一物」を「自分自身の本来本性が清浄無垢のもの即ち清浄心をもっている」と説明されています。すべての事柄は、無一物という宇宙霊からできています。従って、無尽蔵に創ることができます。よいものを創る“清浄心”が大切です。

 

「(本来)無一物」という言葉の意味は、吾等人間は本来一切何んにもない空虚のものであるというのではないので・・本当の意味は吾々人間というものは、その自分自身の本来本性が清浄無垢のもの即ち清浄心をもっている。(安定打坐考抄p15より)

 

・以下、webより。

 この詩は今から千年ほど昔、中国の蘇東坡(そとうば)という政治家でもある詩人が、名月の夜に友人と酒を酌み交わし、詩を吟じ、笛を吹きながら舟遊びをした折に詠まれたものです。「広大な長江(揚子江)の悠久に比べたら人間など何と小さくはかない存在だろう」と無常を嘆く友人に対し蘇東坡は、「すべてのものは因と縁によって生滅を繰り返す。ゆえに実体などもともと無く、あるとすれば我々の心の執着が創り上げるのだ。」と友人を諭します。「しかもそれでいて、山も川も清風も名月も我々もすべて同じ大空のもと、心そのものだ。いくら味わっても楽しんでも禁じられもせず尽きることもない。この無尽蔵を大いに味わおうではないか。」と言い、喜んだ友と再び呑み直すのでした。