164.「達磨」

 天風先生は、「達磨」の絵を多く描かれています。

 達磨大師について、運命を拓く 第二章 人生を支配する法則で「一番の大もとは達磨大師ではないが、廓然無想()、自然というものだけではないか。ひとりでに発生したという、自然というものではないか。」と述べられます。宇宙の根源は、非物質的なもの「宇宙霊」と考えられます。自分を完全に活かすには、心の態度を入れ替えることが大切です。

 

・以下、運命を拓く 第2章 人生を支配する法則 より

「この厳粛なる事実から、今までのように証拠を見なければ安心できないというのは大変な間違いであり、所詮、この大宇宙というものは、物質的に考えようとするから失敗するので、大宇宙の根源にさかのぼって考えれば、非物質的なものではないか。見ることも出来ない、感じることも出来ないものから生まれてきている。一番の大もとは達磨大師ではないが、廓然無想、自然というものだけではないか。ひとりでに発生したという、自然というものではないか。

 世界の本質が自然から作られ、自然の中に計り知れない働きを行う霊智があり、その霊智が見えない人間が生命の中にある心というものの態度で、その受け入れ方が違ってくるなら、自分を完全に活かすには、心の態度を入れ替えるのは先決問題ではないか。また考えようによれば、このまま山の中で死んでしまっても、心配しながら死ぬよりは、死ぬまであの満州で捕らえられた死刑の宣告を受けて刑場に立たされた時のような勇ましい気持ちでいた方が、いい換えるなら、「死」から自分の心を遠ざけて活きている方が、同じ死ぬしてにしても死ぬ刹那まで気楽ではないか。」(運命を拓く 第2章 人生を支配する法則 p62 より)

廓然無想():不満や疑念などのわだかまりがなく、聖なる真理などないと悟ること。 「廓然」は心が広々としていて、わだかまりなどなにもないこと。 「無聖」は凡人と聖者の差がないという意味。 仏教の言葉で、古代中国の南北朝時代の梁の国の武帝が、インドから来た達磨に聖諦第一義のことを尋ねたという故事から。(webより)

 

 

・菩提達磨(ぼだいだるま、中国語: 达摩、サンスクリット語: बोधिधर्म, bodhidharma、ボーディダルマ)は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるが、『洛陽伽藍記』や、いわゆる中国禅の典籍『続高僧伝』など唐代以前のものは達摩と表記している。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。(webより)