174.「童」

 天風先生は、研心抄 第二節 合理的自己陶冶法p183で、「孔子も忠信孝悌(こうてい)仁義礼智(れいち)は小童よくこれを識()る。」と童の純真さを説明されています。

 これは、「無邪気に純真に受け取る気持ち」「疑う気持ちや批判を乗り越え、ただ無念無想の状態で、ただ受け入れていく」(運命を拓く 真理瞑想行についてp26より)ことを表していると思います。

 

・以下、研心抄 第二節 合理的自己陶冶法p183

「勿論(もちろん)多くの学者や識者の説くように、古人の名説や聖訓を学ぶとか或(あるい)は既成道徳や修養法を行うとかまたは宗教に帰依信仰するというような手段も、出来るなら大いに行うは結構な事には相違ないが、実のところをいうとこれが中々簡単に実行の出来ない事なので、それも本能心意の中に低劣な慾念や感情情念の存在する分量が比較的尠少(せんしょう)な人なら格別であるが、そうでない人はたとえその教説がどれほど尊貴なものであろうとも、それを如実に応用実行するということは容易な事ではなく、ましていわゆる凡夫不肖のものには到底出来ない相談なのである。

 

 即ちよい訓(おし)えを聴き同時にそれを実行して見ようと思っても、いざとなると中々思うように具体化することが出来ないので、多くの場合困憊(こんぱい)されるのではないだろうか? 現に孔子も忠信孝悌(こうてい)仁義礼智(れいち)は小童よくこれを識()る。さりながら八十の老翁なをよくこれを行わずと言っている位で・・・これは確かに偽りのない事実である。」