241.又辞シリーズ「十牛訓 第八図 人牛倶忘 又辞 1967年 晩秋」

第八図 人牛倶忘です。

誰もいなくなり、あるのは空白だけです。禅で言う「円相」の世界が描かれています。真の自分さえも消え去り、ゼロになったのです。

 

購入先の文章は以下の通りです。

 

・以下、湘南堂書店(購入先) より

 

十牛訓 第八 人牛倶忘 又辞

 一鎚撃碎太虚空

 凡聖無蹤路不

 通明月堂前風

 颯ヽ百川無水

一千九百六十七年 晩秋 天風

 

碎:くだく/くだける/細かく割れる/粉々になる

蹤:行方/したがう/後について行く/あと/足あと/物事のあと/痕跡

颯颯:風が吹くさま。「寒風として天にほえる」

 

 註

 一鎚撃ち碎く太虚空

 凡聖跡無くして経通

 せず明月の堂前に風

 颯ヽと吹き百川水として

 朝宗せざるなし

  花押

 

・以下、webより

 今回の「十牛図」には、何も描かれていません。第1図からずっと描かれてきた、旅人の姿も見えません。まさに「空(くう)」です。自分の都合も、立場も、知識も、経験も、すべて空っぽになった状態です。

 

 

 旅人は、自分のやるべきことは何か、幸せとは何かを探していました。「さとり」とは、その答えが自分のなかにすでにあったと気づくことです。しかし「十牛図」は、その「さとり」でさえ忘れなさいと説いています。ひとたび目標や幸せに気づくことができたなら、もはやあれこれ考える必要はないからです。