木曜行修会 「人間は完全である」 山本正徳  20191114

・「心を磨く」中村天風著 第一章 人間の正体は気体である より

 

・生命の根源は、見えない世界に充満するエネルギーにある。

 厳粛な体をいう一つの物質が、現象世界に生まれ出てくるまでの間の原因をじっと見ていると、がなかったらでてきやしない。霊魂が人間の生命の本体。心だ、体だというのは霊魂なるものが現象世界にある活動を行うために、その仕事を行う道具だ。病が生じたときに、私が病気だと思った。そうじゃない。私の命が活動する道具が傷んだだけだった。

 

 「我とは、心でもなく肉体でもなく、生命エネルギーの中枢を把握する尊厳なる霊魂と称する気体なり」と断定する。

 これが一番自分を安心して人生に生かす秘訣。どんな場合にもそういう気持ちで生きられると、虚心平気、安心立命、病が出ようが、人生の事柄に変化が出ようが、心まことに何らの波風立たないという状態になる。

 

・客観的考え方をするだけで人生は楽になってくる

 自分の命の道具が損じていると思う考え方は客観的。自分が病んでいる、自分が苦しんでいるというのは主観的。つまり、隣のおばさんのお腹が痛い。こっちのじいさまが心配しているという考え方と同じ考え方になる。

 客観的になると、その考え方がチェンジされただけで、それを完全な状態にしていこうという力が働き出す。これを自然良能力という。

 

「自覚」から「信念」へ

無邪気に、批判することなく受け取る。

 

・いかなるときも霊魂本位で生きる

要するに、安心立命の人生は、いかなるときも霊魂本位で生きること。

 

・「運命を拓く」中村天風著 第五章「大いなる悟り」より

・人の心というものが、なんと、この世の何ものにも比べることが出来ない大きいものであるということを正しく悟る。

 

・真剣に気づかねばならないことは、人間の心の大きさである。果てしない大宇宙よりも、人間の心の方が偉大である。

 

・造物主の無限の力を正しく自覚し、同時にその無限の力を、心の働きと力で、人の命の中へ受け入れ、万物の霊長たる資格を完全に発揮し、同時に、造物主の心持ちである進化向上に順応し、人という人の間を睦まじく、造り上げていくために、こうした偉大な心が与えられている。

 

・哲学的にいうなら、あなた方の自我の中には、造物主の無限の属性が、宿っている。別に頂戴したいといって注文したわけでもないのに、生まれてみたらば人間であり、人間であるからこそ、生き甲斐を意義づけるために、その生命に、男も女も公平に、この恵みを、造物主から与えられている。

 

・運河の水も大海の水も同じだ。そうしたら人間の生命の中に存在する「この不思議な力(ヴリル)」というものは、造物主が持っている力と同じ力である。

人間として考えなければならない一番必要なことは、どんな場合があろうと、この造物主と自分の生命との結び目を堅固に確保することである。

 この結び目を堅固に保つには、わが心を、造物主(宇宙霊)の心と同様の状態にして活きることが、秘訣の第一である。造物主(宇宙霊)の心は絶対に積極である。

造物主の心とは「真」「善」「美」である。

「真」とは「誠」である。「誠」とは一点の嘘偽りもないことが「誠」である。筋道が少しも乱れていないのが「誠」である。

「善」とは「愛情」のことである。あなた方の愛情は偏った愛情である。自分の気に入ったものだけを可愛がって、気に入らないものを可愛がりやしない。そういうのは本当の愛情ではない。太陽光線のように、あれこれと選ばないで普遍的な気持ちで愛さねば駄目である。

「美」とは「調和」のことである。

ひとたび自分の心を、明るく朗らかに生々として勇ましく、どんな場合があろうと心の働きの状態を曇らせずにいくようにするなら、造物主の心と同様の心持ちになる準備をしたことになる。つまり、結び目を堅固に保つ用意をしたことにある。その用意が完全になればなるほど、その造物主(宇宙霊)の無限の力が自然に自己の生命の中へ、無条件に同化力を増加してくるのである。

 

・「練身抄」中村天風著 

第八章「真健康の獲得に必須なる四大利用法」第三節「土の利用法」より

 空気や日光に親しむのと同様に、土に親しむべきである。

 

 裸足で地面に立つと、何ともいえぬ爽快感を感じる。