183.「金魚」

 1961年 夏とあります。金魚の話を探してみました。運命を拓く「第九章 第一義的な活き方」p219に、天風先生の学生時代の友達 岩崎久弥氏との話「金魚を見ろ。金魚は鉢の中に飼われて自由が効かない。そして不平不満は言わない。」がありました。

 本当の幸福とは、自分の心が感じている、平安の状態です。現在のすべてを、心の底から本当に満足し、感謝して活きることが大切です。

 

 

・以下、運命を拓く「第九章 第一義的な活き方」より

 本当の幸福とは、自分の心が感じている、平安の状態をいうのだ。いくら心身統一法を何十年やっても、幸福は向こうから飛び込んで来るのではない。自分の心が、幸福を呼ばなければ、幸福は来やしない。

 だから、現在の生活の状態、境遇、環境、職業、何もかも一切のすべてを、心の底から本当に満足し、感謝して活きているとしたら、本当にその人は幸福なのである。

 私の学生時代の友達で岩崎久弥という人がいた。男爵岩崎家の子供で、私と机を並べていた。お伴が三人もついて、二頭立ての馬車で通っていた。この人が後継ぎになって、湯島のあの広大な屋敷に行くと、二十畳の座敷の真ん中に自分がいて、十五畳と、十畳の間が次の間、次の間になっていて、庭は東海道五十三次が造ってあるという途方もない広い庭だった。そんなところに住んでいて気の毒だなあと思うのは、この男は表に出られないのである。表へ出ると、金魚の糞みたいに、十人くらい従者が、ぞろぞろついて、好き勝手は出来ず、昔の皇族と同じであった。

 

 そんな具合に岩崎久弥は、その広大な屋敷に住んでいて、部屋中の壁に株の上がり下がりを書いた紙を貼り付けてある。

「おまえ、株をやるのか」と聞くと、

「いや、やりはしないが、こうやって、今日上がった、昨日は下がったと見ては楽しんでいるのだ」という。

「ほうッ。それ以外何も楽しみはないのか」と聞くと、

「うん。外に出れば十人もお伴がつくし、変なことをすれば、すぐ新聞に書かれるし、こんな家に生まれるもんじゃないよ。あなたはしあわせだな。ここに来るにも、書生一人連れてくるだけで、自由なことが出来て」というから、

「うらやましいだろ」というと、

「うん、うらやましい」というので、

 

「心を取り変えろ、心を! 金魚を見ろ。金魚は鉢の中に飼われて自由が効かない。そして不平不満は言わない。あり余り、うなるほど金を持って、何の不自由も感じずに、ただ表へ出るとき、お伴がついて来るだけじゃないか。罰当り奴。考え方を変えろ、考え方を」