「見性成仏」  木曜行修会  服部嘉夫

                        2018222

 

 

 「見性成仏」とは口語辞典によると、「自分の本性をみつめることが出来れば、すでに仏と同じ悟りを開いたものである」ということです。白隠禅師の師である至道無難禅師は、「一切の経は仏のおしえなり、坐禅は(じき)なりけり」と云われ、坐禅の公案を「常にも思わぬは仏の稽古なり」(上求菩提)と云われています。

 人間が人間の本性(本心)を見え出した時、人間は成仏すると云う訳です。坐禅行の目的は仏性に成ることです。ゆえに成仏とは「人間が本当の人間に成る」と云うことです。

 天風先生は、安定打坐法を別名天風式坐禅法と云うと申されます。安定打坐法を行じて、雑念、邪心が消えて、無念、無心になり、本心(仏性心・霊性心)が煥発されます。本心とは人間の心の奥底にあり、最も純粋な、穢れのない、清らかな人間の本当の心です。

 天風先生は「何事をするにも安定打坐」と申されます。本心が煥発された境地で日常生活何事も行えと云う事です。

 

 禅宗でも「何も思わぬところから何もかもするがよい」(下化衆生)と云われています。