218.「兜 日出ずる国に生まれて男かな」

 端午の節句(55日)の掛け軸です。「日出ずる国に生まれて男かな」と兜の絵です。

 兜には、精神的な意味があるそうです。また、紀元二千六百年(1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年)とあります。

 日本の歴史の長さに驚きます。変化する世の中で、変化してよいものと変化してはいけないものがあると考えます。技術は 進歩・発展しますが、それを使う 心(霊性心)は 変化せずに磨くものだと思います。天皇家は、日本人の心にあります。日本に生まれたことを感謝します。

 

・以下、webより

皇紀とは、明治政府が定めた日本独自の紀元(きげん=歴史上の年数を数える出発点となる年。紀年法)で、1872(明治5)年に明治政府が、神武(じんむ)天皇が即位した年を、記紀(古事記と日本書紀)の記載から西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年とした。

 

現代では「こどもの日」として祝われる55日。この日はもともと五節句の端午の節句にあたります。端午の端は「はじめ」という意味で、「端午(たんご)」は5月最初の午(うま)の日のことでした。それが、午(ご)という文字の音が五に通じることなどから、奈良時代以降、55日が端午の節句として定着していきました。

 

 江戸時代に入り、勢力の中心が貴族から武家に移るとともに、「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。この節句は、家の後継ぎとして生れた男の子が、無事成長していくことを祈り、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。33日のひなまつりが、女の子のための節句として花開いていくのに呼応するように、55日の端午の節句は、男の子のための節句として定着していきました。

 

 鎧や兜を飾ることは、武家社会から生まれた風習です。身の安全を願って神社にお参りするときに、鎧や兜を奉納するしきたりに由来しています。鎧や兜を“戦争道具”と受け取る考えがありますが、武将にとっては自分の身を護る大切な道具であり、シンボルとしての精神的な意味がある大切な宝物でした。

 

 

 現在は鎧兜が“身体を守る”ものという意味が重視され、交通事故や病気から大切な子どもを守ってくれるようにという願いも込めて飾ります。